


経済的状況の変化は、移民労働者の認識にも変化をもたらしました。
英国ではチャーチスト運動という形で労働者階級の政治運動がおこり、1842年、1848年と、景気が厳しさを増した年には、運動が一層盛り上がりました。
チャーチスト運動は、ヘンリー・パークスも含めてこの頃英国からやって来た一部の移民に影響を与えました。
1843年から44年にかけて、ニューサウスウェールズの景気はどん底状態に陥り「労働者階級の状態」を代弁する組織として「相互保護協会」が結成されます。
しかし協会の活動計画は、労働者階級の労働条件を改善するという目的より、個人の自由、人間の権利など、中産階級が目指していた権利を勝ち取ることを目的としてたてられました。
1848年には急進的な憲法制定協会が設立され、協会の指導的立場にあったE・J・ホークスレイが英国人民憲章の6つの柱、とりわけ成年男子普通選挙権の原則を主張した時には、ニューサウスウェールズがより一層の前進を見せるかに思えました。
ところが、「職人、機械工、労働者」の主たる敵は巾産階級の雇主というより、「ぶらぶらと遊んで暮らし、尊大な態度で、なおかつ非生産的な貴族」であると考えられていたのです。
