独自のアイデンティティーを保つため、植民地の上流階級は、本国の「上流」社会を手本とした社交クラブを作りました。
1838年に創設されたシドニーのオーストラリアンクラブ、ホバートのユニオンクラブは、植民地上流階級の社交の場となりました。
前者は設立当初の会員資格を200人に限り、後にはこれを300人にまで増員し、投票によって入会資格の選定が行われました。
会員の10%が反対票を投ずると、入会を希望する人は、たとえいかなる人でも「入会資格を失くして」しまうのです。
クラブを設立したスチュアート・アレクサンダー・ドナルドソンは、「貴族はすべてメンバーとして名を連ねている。」と書いています。
1838年に設立されたメルボルンクラブは、都市居住者、スコットランド移民のスクォーターの為の同様な組織でした。
創立時の会員は150人に限定され、入会金は25ポンド(約12、000円)年会費は5ポンド(2、400円)でした。
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